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微量元素を採り入れて進化する基幹系光ファイバー技術

2006年09月29日 22時46分更新

文● 編集部 西村賢

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日本電信電話(株)は29日、1本の光ファイバーで14Tbpsという超大容量のデータ伝送実験に成功したと発表した。地上デジタル放送のハイビジョン映像は約17Mbpsだから約5880本分まとめて流せるほどの超広帯域だ。放送と通信の融合が進めばバックボーンの帯域不足が懸念されるが、1990年代なかばから約3年おきに3倍の高速化を果たしており、基幹系光ファイバー技術は、まだまだ進化の余裕がありそうだ。

新技術の概要
新技術の概要

人体の必須微量金属元素と光ファイバーの添加元素

唐突だが、光ファイバー技術の進化を生物進化のアナロジーを使って説明してみたい。

人体にはごく微量だが金属元素が含まれる。カルシウムやナトリウムといったなじみ深いものばかりでなく、モリブデン、バナジウム、セレン、クロムといった工業用途でしか聞かない金属元素も、きわめて微量ではあるが、それがなくては死に至るというほど必要不可欠の元素として体内に存在している。

必須金属元素の多くは特定のタンパク質や有機分子を従えて、金属錯体を形成している。金属錯体とは、1つの金属元素を中心にして、その周囲にさまざまな分子を従える分子の形で、言ってみればオーケストラの指揮者のような位置に金属元素がある。こうした金属錯体は、さまざまな代謝系で、反応効率を何万倍とか何十万倍にも高める触媒として機能する。そのため、必須金属元素が欠乏すると疾患となる。

生物は進化の過程で、代謝を大幅に効率化する元素を錯体という形で、うまく取り込んだ。

生物進化における金属元素の利用と同様に、1980年代に本格利用が始まった光ファイバー技術も、さまざまな微量元素を取り込むことで徐々に進化を果たしている。最初は希土類元素のエルビウムを光ファイバーの石英に混ぜ込むことで、光増幅中継器の実現という画期的な技術進化を果たし、今回NTTが発表した技術では微量のリンを添加することで利用可能な波長幅を拡大した。

最初のブレークスルーは“エルビウム”

光ファイバー中を通る光信号は距離とともに減衰する。そのため、中長距離の伝送では途中に中継器を置いて信号を増幅する必要がある。1990年代前半まで、この中継器は光信号をいったん電気信号に置き換えてから増幅し、もう1度、電気を光に変えて送り出す方式だった。

光電変換方式の中継器では、どうしても信号の処理速度に限界があった。また、太平洋の海底に沈める日米間の海底ケーブルでは中継基地の電力供給やメンテナンスの問題が大きいため、中継器の数を減らすこと、言い換えれば中継器の効率を上げることが重要な課題だった。

こうした問題を解決したのが光信号を光のまま増幅する“エルビウム添加光ファイバー増幅器”(EDFA:Erbium-doped Fiber Amplifier)の登場だ。

EDFAは“光の足し算”を行なう。

エネルギー状態の高い励起状態にある原子は、その原子に固有の波長の光を放出してエネルギー状態の低い基底状態に戻る。その原子の放出するのと同じ波長の光を外部から入射すると、結果として同波長、同位相の光が放出される。この原理を応用し、EDFAでは光ファイバーに石英の結晶にエルビウム金属元素を混ぜ、外部からレーザー光を照射する。すると、ファイバー中を通るレーザー光が増幅される。それは、たまたま光ファイバーで使われていた1500nm前後の波長が、エルビウムがもつ固有の吸収波長に一致した、いわば僥倖とも言える発見だったという。

光増幅器の原理
光増幅器の原理

こうして、たとえば1995年にKDD(当時)は、途中で1度も光を電気に変えることなくEDFAのみを使って2万kmにも及ぶ太平洋を渡す海底ケーブルを施設することに成功している。光増幅では、信号波の多重化や高速化といったさいにも中継器の変更が必要なく、現在の基幹系の光ファイバー通信を支える重要な技術となっている。

エルビウムで使える帯域幅が手狭に

現在では光増幅器は、周波数帯によってSバンド(1480~1510nm)、Cバンド(1530~1565nm)、Lバンド(1570~1605nm)の3つのバンドに対応するものが実用化されている。1バンドあたり、約4THzに相当する帯域幅だ。エルビウムによる光増幅が実用化できた背景には、エルビウムが、ちょうどいい具合にこうした帯域幅のある光を増幅できたという事実がある。異なる波長の信号を重ねて送る“光波長多重”(WDM:Wavelength-Division Multiplexing)を使って高速化しやすいからだ。現在、実験室レベルでは100波を重ねて10Tbpsまでは実現されている。

ところが、さらなる高速化を目指して多重化する波長の数を増やそうとしても、今度は各バンドの帯域が足りなくなってくる。S、C、Lバンドを組み合わせて使うためには、光増幅器の前後で波長ごとに信号を分離・合成する必要がありノイズやコストの問題があった。また構造が複雑となるためエラー耐性が低くなる。

そこでエルビウムの光学的特性の限界を超えて、1つのバンドで使える帯域幅を広げる技術が模索された。今回、NTTが発表した実験で使われたのは“リン”だ。光増幅器にリンを添加することで、増幅可能な波長領域を拡大。Lバンドを約1.7倍(7THz相当)にまで拡大することに成功し、これによって1つの光増幅器だけで140波まで広帯域化する“拡張L帯光増幅中継技術”を確立した。

併用システム 拡張L帯
3つのバンドを併用するとシステムが複雑にリン添加の新技術でL帯を約1.7倍に
新技術概要 実際の波形
拡張した1バンドだけで10Tbpsを超える容量を実現実験で送受信した実際の波形。左の細かいギザギザが140本のチャンネルで1つあたり111Gbps

位相変調採用で2倍に高速化。伝送距離もアップ

今回のNTTの技術では、従来光通信に使われてきた強度変調方式に変えて、位相変調方式が使われている。

強度変調方式とは光のオン・オフで0と1を区別する方式。対して位相変調方式とは、光のパルスは常にオンの状態で、波の位相(波の山と谷の位置)で0か1かを伝える方式だ。位相変調方式では1/2位相、1/4位相と細かくしていくことで、1つのパルスで2値、4値を表現することができる。

強度変調と位相変調の違い 位相変調をもちいた多値符号化の原理
強度変調と位相変調の違い位相変調をもちいた多値符号化の原理

位相変調方式はADSLや無線LANでも用いられている技術で、電気通信や無線通信では当たり前の方式だ。むしろ、単純な位相変調だけでなく振幅変調を組み合わせるなどして2値や4値どころか、64値や256値のデータを1回の変調で伝える複雑な処理を行なっている。

未来ネット研究所主幹研究員の宮本裕氏によれば、光通信でも遅まきながら位相変調を利用するようになった理由は2つあるという。

1つは高速化のニーズに応えるためだ。もともと光通信は、ほかの無線や電気を使った通信より、はるかに利用周波数が高いため、あえて位相変調を使うまでもなく十分速かったため、これまで単純な強度変調が用いられていたという経緯がある。

もう1つの理由は、超高速で動作する電気信号処理デバイスが開発できたこと。リン化インジウム素材を使った新開発のチップは55Gbpsという超高速動作が可能で、これによって1チャンネルで111Gbpsという高速な信号が利用できるようになったという。今回成功した実験では、111Gbps×140波で14Tbpsを実現した。むしろ現在の高速化のボトルネックは電気信号処理部分にあるわけで、光ファイバー自体の物理的な伝送能力は、まだまだ計り知れない。

新開発のリン化インジウム製超高速処理チップを使ったデバイス群

位相変調方式では強度変調に比べて感度もあがり、伝送可能距離が約3倍になるという。ただ、今回の実験では2つの光増幅器を通して80km×2の160kmで行なったが、実用化のためには300~500kmの伝送能力が必要という。また、技術的なめどは立ったものの、標準化や量産によるコストダウンなどの課題があるため、今回の技術が実際に基幹系の光ファイバーネットワークで使われるようになるのは、7~8年後だという。

今回、Lバンドの範囲を拡張するための添加物としてNTTはリンを選択したが、それはさまざまな元素で実験を繰り返した結果だという。光ファイバー網は、ちょうど生物が微量元素を活用して生化学反応を早めたのと同じように、微量元素を取り込んで高速化する進化のプロセスを歩んでいるということなのではないだろうか。

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