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1998年12月開催、“日本語環境の未来---ワープロ誕生20年と今後”

日本語ワープロ開発の極秘メモを暴露!?----立教大学・産業関係研究所シンポジウムから

1999年01月08日 00時00分更新

文● 報道局 白神貴司

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 ワープロが誕生してから20年が過ぎた。立教大学の産業関係研究所では、'98年12月9日、“日本語環境の未来---ワープロ誕生20年と今後”と題したシンポジウムを開催した。ワープロ草創期の開発者を招いた講演会とパネルディスカッションである。過去20年の“ワープロ史”を振り返るとともに、今後のあるべき姿についても議論が交わされた。富士通(株)の神田氏から、開発当時には極秘であったろうメモが公開されている。

 立教大学産業関係研究所自体については後述する。

『JW-10』ははじめからワープロを目指したわけではない

 今回のシンポジウムでは、まず、(株)テックの森健一取締役が、(株)東芝在籍中に開発に携わったワープロ『JW-10』に関して講演した。'70年代なかば、欧文タイプライターに匹敵するものが日本語にはなかった。このため、森氏らのグループは当初、漢字かな混じり文に変換する技術を研究し始めた。同氏によれば、「必ずしも現在の“ワープロ”を目指して開発を進めたわけではなかった」という。

『JW-10』開発の苦労話を語る森氏 『JW-10』開発の苦労話を語る森氏

 東芝が日本初のワープロ『JW-10』を発表したのは、'78年9月だった。価格は当時で630万円。森氏は、「当時は普及に関しては疑問視する声も多かった」と語った。「・・・将来、安くなって“一家に一台”ということになるかどうか・・・('79年1月29日付朝日新聞から引用、原文のまま)」という論調が、その雰囲気を如実に物語る。

ワープロという用語は『OASYS』から

 続いて登場したのは、富士通(株)で『OASYS』シリーズの開発に携わった神田泰典同社常務理事。壇に上る階段に腰掛けて『OASYS』開発の経緯を熱弁し、会場を沸かせた。

壇に腰掛け、当時の開発状況を語る神田氏。会場も多いに沸いた
壇に腰掛け、当時の開発状況を語る神田氏。会場も多いに沸いた

 神田氏は、'79年に大型コンピューター向けの日本語システム『JEF』を開発した。'80年5月に同社初のワープロ(当時は“日本語電算システム”と言うネーミングだった)『OASYS 100』を発表した。価格は、東芝の『JW-10』に比べて半分以下の270万円である。神田氏は、富士通が独自に開始した“親指シフトキーボード”の開発に関する話題などを交え、当時の苦労話を語った。

 “親指シフトキーボード”では、親指にシフトキー(通常のタイプライターの空白キーの両側に2つ設けてある)を、他の4本の指に通常のタイプキーを割り当てる。通常のタイプキーに、単独で打ったモード、左親指シフトと同時に打ったモード、右親指シフトと同時に打ったモードの計3つの役が割り振れる。

 この結果、30個のキーで50音の静音、濁音、半濁音、拗音、促音が入力できる。JISキーボードのかな入力ではキーが4段必要になるのに対し、親指シフトでは3段で済む。打鍵に慣れれば、非常に速い。神田氏は、「最も効率がいい」と主張する。

 講演の中で神田氏は、「富士通が'82年に発売した『MY OASYS』で、“ワープロ”という単語が定着、普及したと思っている」と語った。

 なお、神田氏は、ワープロ開発に際して当時手書きで書いたメモをそのままWeb上で公開している。そのURLを末尾に示す。当時極秘だったはずのメモが、20年の歳月を経て万人に公開されているわけだ。

森、神田両氏に花束が贈呈される一幕も
森、神田両氏に花束が贈呈される一幕も

文字コードにまで議論が及び、白熱したパネルディスカッション

 森、神田氏の講演後、両氏にパネリストを加えてパネルディスカッションが行なわれた。司会は立教大学の古瀬幸広助教授が担当した。パネリストは、以下のメンバーである。神田氏、芝野耕司東京外国語大学教授、辻井潤一東京大学教授、古瀬氏、森氏、横井俊夫東京工科大学教授の6名(50音順)。

左から、司会役の古瀬氏、自然言語処理を研究している横井氏、森氏
左から、司会役の古瀬氏、自然言語処理を研究している横井氏、森氏
左から、機械翻訳、自然言語処理を研究する辻井氏、JIS漢字規格に携わる芝野氏、神田氏
左から、機械翻訳、自然言語処理を研究する辻井氏、JIS漢字規格に携わる芝野氏、神田氏

 まず、漢字コードに関する議論を展開した。森氏も神田氏も、ワープロという商品の企画時期がJISコードの制定時期と合前後していたため、いろいろ苦労したと心情を吐露した。

 その話がきっかけになって、人名、地名を表現する上でJIS漢字には不備があるのではないか、という一部の人々の認識に話が及んだ。

 JIS漢字規格に携わる芝野氏が次のように反論する。

芝野氏「JISの情報が正しく伝わっていないように思う。'78年に増補が行なわれ、JIS漢字には人名、地名に関してかなりの字数が収録されている。確かに、重要な漢字の中に、いくつか漏れがあったのは間違いない。ただこれは、すべての漢字をカード化して手作業で管理していたことから来る作業上のミス。よく言われるように、“理系の人間がわけもわからず漢字を選定している”というのは誤解だ」

機械翻訳は行き詰まっている!?

 次に、機械翻訳に話題を移した。

辻井氏「かな文を漢字混じりの文に変換するシステムに比べて、機械翻訳はより複雑。技術的にはもう1段階、2段階の進歩が必要だと思う。今あるシステムは、いずれもユーザーにある程度の言語力を強制する。変な訳文を検出できる程度の語学力がないと、使用できない」

横井氏「コンピューターメーカー各社は、機械翻訳にかなりの額を投資している。共通辞書を作ろうという動きもあったが、思惑がぶつかり合って実現しなかったようだ」

神田氏「富士通でも、米国向けの車載用品のマニュアルなどを機械翻訳で作成しようとしたが、うまくいかなかった。限られた分野ならば障害も少ないだろうと考えたのだが、特定分野に特化すると、それだけ翻訳に対する要求もハイレベルなものになる。この点が誤算だった」

辻井氏「機械翻訳の研究者からすれば、ワープロの成功は非常に大きく、まぶしい。あれほどの成果が機械翻訳には望めない、という感覚」

ワープロの将来像は?

 最後の話題は、ワープロの将来像である。

神田氏「ワープロは、いずれは情報機器というよりも、家電としての位置付ける方が、いずれ妥当になると思う」

辻井氏「作成したテキストを検索、共有できるような仕組みが必要と感じている。テキストを共通の財産として捉える“ナレッジシェアメント”がキーワードになる」

森氏「ワープロは文書作成の専用機として残っていくと思う。中国語対応ワープロを開発したときにも、機能としてのかな漢字変換は有効だった。ローマ字で中国語の読み(平音:ピンイン)を入力して漢字に変換する機能として応用できた。文字種の多い言語にとって、かな漢字変換機能は、非常に有効と感じた」

横井氏「ワープロにおける日本語処理は、技術的にも最高レベルに到達したと思う。メーカーには、さらに一歩進めて、言語処理機能に関する技術をオープン化してもらいたい。それによって、現在停滞している機械翻訳などの技術に進展がもたらされることを望む」

芝野氏「日本のワープロに関する技術は、パソコンのいわゆる“Wintel”に負けないものと思っている。もっと自信を持っていい。さらに技術を高めるには、やはりメーカーの情報開示が必要だ。日本の企業は非常にクローズなイメージがある」

 各界の権威が一堂に会してのディスカッションは、終始白熱し、聴衆を魅了した。

情報化について研究する産業関係研究所

 立教大学産業関係研究所は、同大社会学部に付属する研究機関で、'59年の設立。当初は企業内の労務問題を研究していたが、'80年代後半に“情報化”がキーワードになると、そちらへシフト。現在では、文字コードやワープロに関する研究などをメインに、活動している。

ワープロのシンポジウム開演にあたり、挨拶する白石典義社会学部教授。同氏は産業関係研究所の所長でもある ワープロのシンポジウム開演にあたり、挨拶する白石典義社会学部教授。同氏は産業関係研究所の所長でもある

 同研究所の活動の一環であるシンポジウムも、ユニークなものが多い。たとえば、オーケストラの組織を例として、文化産業組織のマーケティング活動をテーマにしたものを開催している。また、経済の市場化が進む中国における労務問題などの研究にも取り組んでいる。

 現在所長を務める白石典義社会学部教授は、「本来は文化と産業は切り離せないもの。日本は文化をきれいなものとして捉えようとするが、そうはいかない。産業、マーケティングを抜きには考えられない。産業関係研究所では、ここに情報化というキーワードを加えた研究を進めていく」と語る。今年、設立40周年を記念して、イベントも予定しているという。

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