殺伐としたパフォーマンスにお似合いの殺伐とした幕切れ
午後7時40分、またサイレンが長く長く鳴り響く。いよいよフィナーレか? しかし寒空の下で冷えきった観客はうんざりしたようにもはや歓声も上げない。下手奥の“トランプ城”がウィンチで巻き上げるロープに引っぱられてのろのろと前進する。Shockwaveが波動砲を見舞う。やがて城はべしゃりと崩壊した。パフォーマンスは終わった。余韻もくそもなく場内アナウンスがイベントの終了を告げ、消化剤が噴霧される。胸の悪くなる耐えがたい悪臭。人々はハンカチで口を押さえて脱出する。耳栓は観客全員に配られていたようだが、それでも低周波にやられて気分が悪くなり、退場した人もいたようだ。
擬岩づくりの神社は燃え落ちた。ところどころにマネキンの首が飾り立てられている |
ちらちらと燃えながらShockwaveに攻撃される“トランプのお城” |
トランプ城の崩壊。歓声も拍手もまばらにショーは終わった |
後ろにいた観客は「何やってたの?
リモコンアンテナの先ぐらいしか見えなかったな」とつぶやく。足元には露店で売っているビールの空き缶が散乱。殺伐としたパフォーマンスにお似合いの殺伐とした幕切れ。3000人を越える観客がどんな感想を持ったのか知るすべはないが、これだけは確かだろう。
「早く風呂か炬燵に入りたい!」
会場外の路上には消防車とパトカーが赤色灯を回して待機していた。
破壊や暴力の真の姿とは?
このイベントの関連行事としてICCのシアターでは金曜日の夜に限ってSRLの過去のパフォーマンスビデオを上映していた。毎度警察と消防の邪魔が入ったサンフランシスコでのショー、SF作家ブルース・スターリングも取材したアリゾナでのショーその他。これらを見ていた人にとって、日本公演は「すごく地味! マシンの数も炎の量だってぜんぜん足りない」と不満だったかもしれない。マーク・ポーリンだって、もっと派手にやらかしたかったにちがいない……が、本当にそうだろうか?終始ゆったり構えていたマーク・ポーリン。ロボット殺戮の首謀者はナイスガイにすら見える |
ことさらに散漫で、迫力よりも弛緩を重視しているようなSRLのショーは、破壊や暴力の真の姿に実はとても近い、ような気がする。私は母に聞いた空襲の体験談を思い出した。
「焼夷弾に焼かれた町はほんとにきれいで夢の中にいるみたいだった。怖いっていうよりぼんやりしてたわ」――そんな昔の話でなくとも、阪神大震災当日朝のニュース映像を思い出してみてもいい。倒れた高速道路の空撮映像は、なんだかシーンとしていた。ことの深刻さに人々が気づくまで、ずいぶん時間が掛かったじゃないか?
破壊の現場は意外に静かで、ぼんやりとした空気が漂っている。
ICC発行のプレスリリース(ウェブにも掲載)にはこんなふうに書かれている。
「現代のハイテクノロジーに対する、強烈な皮肉とユーモアがあふれており、それは結果的にハイテクノロジーに踊らされ、また抑圧されていると感じている、われわれ現代人の心を解放するカタルシスをそなえています」
SRLのパフォーマンスについて社会批評的な観点からあれこれ言うのは簡単である、と同時に空しくもある。あぁもう面倒なことを考えるのはよそう、さっさとあったかいとこへ入ろうぜ……というわけで、黙々と駅へ向かう群衆に私たちもまじる。この時期の名物になっている巨大なクリスマスツリーの前を通る。にわかにツリーが炎上し、不気味に揺れ動きながら倒れてきそうな気がした。原宿駅前の歩道橋は人々をのせたままギクシャク歩き出しそうだった。平和な社会はちっとも安全なんかじゃないぜ――マーク・ポーリンの頭の中につまっていた邪悪な夢が漏れ出して、私にも感染したのだろうか?
独特の後味の悪さをゆっくり噛みしめながら、温かな夕食をとりに出かけた。