アートと最先端科学とを結び付ける、アルス・エレクトロニカ・フェスティバル。“ネクスト・セックス”を今年のテーマに置き、生命科学がどうアートと結び付くのかを考える“バイオアート”は、まさにアートにとっては先端の領域だ。そこで実際に紹介されたり、展開されたプロジェクトを紹介しよう。
“DNAの配列”を言語化したり視覚化する
シンポジウムが開催された“ブルックナーハウス”はドナウ河の辺にある。河を見下ろすような高い天井から光が射し込むロビー。そこに“ネクスト・セックス”というテーマに沿った作品群が展示されていた。
展示作品でひときわ目立ったものは、3つのビニールハウスだ。そのビニールハウスのひとつの前でたくさんの人だかりができている。白衣を着た白髪の紳士が、バイナリーコードをプリントしたパネルの傍らで、なにやらまくし立てている。
「全てのDNAをバイナリーコードにすると、“天の河”のように視覚化できるのだ」――声の主はジョー・デービス氏(米国)。常に最先端の科学技術を応用した表現を考え続けているアーティストだ。ビニールハウスの中で散乱した顕微鏡や実験器具は、マッドサイエンティストのラボみたいな空間のようにも思えるが、それはさて置いて、氏が展開するのは“DNAの配列”を言語化したり視覚化すること。
巨大モデルを使ってDNAの美しさを語るジョー・デービス先生 |
DNAがコードなら、読ませ方によって様々な視覚化が可能であるということを見せてくれる。それは時に散文詩であったり、時に色とりどりのインスタレーションであったりする。そして、その表現は“天の河”に行き着くというわけだ。視覚物として、DNAの持つ情報を我々に理解させてくれるだけでなく、その表現プロセスを理路整然と(しかしエキセントリックに)語るデービス氏のひらめきと創造力。このパワーにはただ圧倒されるばかりだ。
“細胞組織文化芸術家”とは?
一方、隣のビニールハウスでは何やら培養が行なわれている。“細胞組織文化芸術家” Tissue Culture and Artist(TC&A)を名乗る彼らは、細胞を用いてアーティスティックな物体を培養する作品作りに没頭している。“きのこの細胞”による椅子などを作ってきた彼らがここでプレゼンテーションするのは、半生物“想い人形”を作ろうというもの。
想いをかけ、願をかける想い人形。日本なら藁人形や神社のものがある。彼らは中米でポピュラーな想い人形に焦点を当て、培養技術でそれらを作り出すのである。培養とともに想いが込められる半生物の人形……。それはまさにバイオテクノロジー時代における呪術の到来だろうか?
こうやって半生“想い人形”が作られるのだ |
その隣は温室になっている。温室には色とりどりの蝶の群れが飛び交う。これらの蝶は細胞レベルでの変換によって独特の羽の模様がつけられたものだ。オランダのライデン大学で“バイオアート”の確立を目指して研究を進める、マルタ・デ・メネツェス氏(ポルトガル)の作品である。
ともすると、“足が増える”、“異形が生まれる”など、気色悪いイメージで語られてしまうバイオテクノロジーだが、生物的に傷つけること無しにアートの素材として見せようという試みから、まず“かたち”にした蝶たちなのだ。
この温室の中に、バイオテクノロジーを利用してつくられた蝶がいる |
何の変哲もないこの蝶のパターンに独特の模様がつけられているのだ |
精子の挙動をセンシングしてリアルタイムに図式化
“ネクスト・セックス”で忘れてはならないのは、やはりなんといっても“精子レース”だろう。オープニングの記事で既に報じた“精子レース”だが、実際にそのレースの模様は、これらのビニールハウス群の横にある特設ブースで見ることができた。
もともと肉眼では見られない小さな精子にセンサーを当て、その挙動を数値化したものをリアルタイムで図式化する。そのイメージによってレースを観覧するのである。この模様はインターネットを通じて、何処ででも見ることが可能であった。(賭けは広場の窓口でしかできなかったが)レースのリプレイや、精子のプロフィールなどは今でも特設サイトで見ることができる。
リアルタイムで固唾を飲んで見守る人々 |
さて、最終日である2日目のレースの結果だが、自称地元スポーツマンの持つ精子に25%の人気が集中するも、結果として1%程度の人気しか集まらなかった普通の精子が圧倒的な強さをもって勝ってしまった。現実の精子バンクでも起きているような経歴の詐称なのか? はたまた、レースには“現実の男気”は反映されないのだろうか? ある種の神秘を残してレースの幕は閉じたのであった。
筆者の手によるヨーロッパのパブリックなサイバースペースとメディア・アートに関するレポートがここでも読めます