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巨大合併、あなたならどうする? コンパック社員たちを覆う不安と希望

2002年06月13日 15時53分更新

文● 編集部 佐々木俊尚

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昨秋、コンパックコンピュータとヒューレット・パッカード(HP)が合併を電撃発表してから9ヵ月。創業者一族の反対などで迷走したものの、ようやく5月に米国本社での合併が完了したのに伴い、日本法人でも今秋をメドに合併に向けての作業が進んでいる。この間、日本人社員たちはどのようなことを考え、どのような希望を抱いてきたのか。コンパックの社員や元社員たちの証言から“長かった9ヵ月”を再構成してみた。

コンパック日本法人社員たちの運命の9月4日は、騒動とともに幕を開けた。合併の方針が発表された日、同社幹部の一人は自分に言い聞かせるように笑って見せた。
 「ははは、3兆円かあ。こりゃなるようにしかならんだろうなあ」
しかし、その笑顔がいくぶん凍りついているようにも見えたのを、近くにいた社員は見逃さなかった。

パソコン市場で世界4位の米HPが、同2位の米コンパックを250億ドル(約3兆円)で買収すると電撃発表したのは、昨年9月3日深夜(米国時間)のことだった。その時、日本は4日正午過ぎのランチタイム。速報がテレビやラジオ、インターネットから洪水のようにあふれ、何も知らされていなかった日本法人社員たちは「パニックに陥った」(元社員の証言)という。日本HPの寺澤正雄社長とコンパックの高柳肇社長はともに、帝国ホテルでの大塚商会のパーティーに偶然にも出席していた。この会場にも合併のニュースはすぐに流れ、集まっていたIT業界のトップたちは一様に驚きの言葉を口にした。当時の日経産業新聞(9月17日付)は、成毛真インスパイア社長のこんなコメントを紹介している。
 「えぇ、HPとコンパックが合併? ガセじゃないの」

社員のひとりは語る。
「自分たちの知らないところで世界が動いている、という空恐ろしいような感覚に襲われた。合併慣れしていると言われるコンパックだけど、今回は話の大きさがケタ違いだと思った」

米コンパックは1997年にタンデムコンピューターズ、98年にディジタル・イクイップメント(DEC)を買収し、日本法人もそれに伴って合併を重ねてきた。合併後の新社長にも内定している高柳コンパック社長は、もともと日本IBMから社員40人足らずだったタンデムに飛び出した人物。その後の相次ぐ合併劇の中で、より規模の大きい新会社の社長へと就任し続ける“逆転人事”を果たしてきた英雄だ。しかし「高柳さんと行動をともにしてきた旧タンデムの人たちでさえ、HPとの合併には大きな衝撃を受けていた。高柳さん自身の衝撃も相当なものだったと思う」(ある社員)。

ジョークで不安を紛らす社員も……

9月4日の午後遅くには、衝撃はさらに深く広がった。不思議な狂騒状態が、天王洲のコンパック本社オフィスを包んでいる。しかし、会社からの公式なアナウンスはない。社員たちは三々五々集まっては、お互いの不安や懸案を口にした。
「競合してる製品はどうするんだ?」
「サーバーのラインアップ、どれが生き残れる?」
「それより人員削減はどうなるんだ。どの部署が残れるんだ」
あまりに深刻になってしまう議論に疲れ、こんな冗談を交わしていた社員もいたという。
「新しい社名はどうなるんだろ?」
「HPが買収するんだから、HPの名前が存続だよ」
「いやきっと、『ヒューパック』みたいな新社名を作るに違いない!」
「ははは、じゃあ試しにヒューパックっていうロゴを作ってみようか」

HPのフィオリーナCEOからの突然のメールがワールドワイドのコンパック全社員に送られたのは、合併発表からかなり時間が経ってからだった。丁寧にも手書き署名の画像が添付されたそのメールには、今後の新会社のビジョンとともに「ともにがんばりましょう」といった言葉が連ねられていたという。このメールと前後し、日本法人の部長クラスの幹部社員から「動揺せず、会社からのアナウンスを待て」といった指示がメールで流れる。会社からは「HPの社員との情報交換は控えること」「出所のわからない風説を流さないように」といった指示も伝えられた。

当初のパニックが収まったのは、約一週間後だった。米国の世界貿易センタービルと国防総省に航空機が突入し、対テロ戦争が勃発。世間の関心と、そして社員の関心もテロ一色へと染まり、皮肉にも巨大合併劇は一時忘れ去られた。

コンパックコンピュータ株式会社の本社が入る品川・天王洲セントラルタワーコンパックコンピュータ株式会社の本社が入る品川・天王洲セントラルタワー

長い8カ月の間に出荷台数は減少

だがそれは、コンパック社員たちにとっては“長い夜”の静かな始まりでもあった。すでに繰り返し報道されているように、11月にはHP創業者一族のひとり、ウォルター・ヒューレット氏が合併反対を表明する。明けて3月には株主総会で合併が承認されるが、ヒューレット氏はデラウェア州裁判所に提訴した。

この間、不安定な状態におかれた日本法人のビジネスは停滞しているようにも見えた。2001年のコンピュータ出荷台数は約44万4000台で、前年比35.4%の減少(IDCジャパン調べ)。別のある元社員は打ち明ける。
「合併が実現するかどうかもわからず、自分の売っている製品が果たして来年、存続しているのかどうかもわからない。そんな状態で自信を持って製品を売り込むことはできないし、非常に落ち着かない状態だった」

米国の本社では、水面下で合併に向けた準備が進む。「クリーンルーム」という名称の作業チームが設置された。来るべき合併ゴーサインの日に備え、将来の製品ロードマップの再点検や各国法人との調整、人員削減などの実施的な作業を行う部隊だ。クリーンルームに投入されたスタッフは1200人にも上り、最終的に日本法人からも数十人が加わったとされる。ここで交わされた会社の機密情報は、職場の同僚どころか上司にも流してはならないと厳命され、社内でもさまざまな噂や憶測がささやかれた。先の元社員は「今月は誰と誰が米国本社に行ってるとか、そんな話で持ちきりだった。社長の動向が、一般社員の間でさえ話題になるほどだった」と振り返る。

デラウェア州裁判所が同氏の訴えを退け、ようやく合併手続きが完了したのは5月初旬だった。日本はさわやかなゴールデンウィークの休暇中。連休明けで出社してきた社員たちの間には、ほっとしたような明るい空気が流れたという。待たれていたHPとの交流もついに開始され、新会社設立に向け、競合製品を作っていた部署同士の顔合わせ会もあちこちで開かれるようになった。ようやく動きはじめた合併作業に、社員の表情には活気が戻り始めた。

リストラクチャリングへの不安も

しかし一方で、合併に取り組む社員たちの表情には、ひそかな不安も見え隠れする。合併に伴う「人員削減」という不安だ。

日本法人の社員数はHPが約3100人、コンパックが約3200人。だが全員がそのまま新会社に残れるわけではなく、社内事情に詳しい関係者によれば、「1と1を足しても、2にはなれない」といった話がささやかれているという。1と1が合併しても、残れるのは2以下の人数という意味だ。両会社の社員計6300人のうち、新会社に行けるのはいったい何人だろうか。新会社のフィオリーナCEOは6月4日、全世界の社員15万人のうち約1割に上る1万5000人を段階的に減らす方針を明らかにしている。1万人が早期退職プログラムで、残る5000人をレイオフという目論見だ。

元社員は言う。「これが1998年だったら、みんな喜んで辞めたかもしれない。実際、98年のDECとの合併の際に行われた早期退職プログラムは人気が高く、新天地を求めて辞める人が多かった」

98年といえば、ITバブルの真っ最中。退職は、ビジネスマンや技術者にとってひとつの大きなチャンスでもあった。だが2002年の今は、底なしの不況がIT業界をも飲み込んでいる。先の見えない濃い霧が、業界を包んでいる。再就職先は、簡単には見つからない。

コンパック社員の中には、昨年の「ゲートウェイショック」を語る人もいる。米大手パソコンメーカーのゲートウェイは昨年8月末、突然日本市場からの撤退を発表。米国企業らしい迅速さで即座に日本国内の直営店を閉鎖し、ネットでの販売も中止した。約700人いた社員は半数が数日内のうちに解雇された。コンパックとHP合併の電撃発表から1週間前のできごとだった。

あれからすでに9ヵ月。しかしゲートウェイ社員たちの動向を知る関係者によると、いまだに再就職先が決まらない人は少なくない、という。コンパック社員のひとりは「私たちが同じような目にあうとは思っていない。でも、合併で人員削減があるという話を聞いたとき、以前なら『そろそろ潮時、チャンスかな』と思えたのが、今は『ちょっとヤバイよな』と思ってしまう。胸をちくりと刺されるような密かな痛みを感じてしまう」と打ち明ける。

しかしそんな状況の中でも、コンパック社員たちの志気は高い。ある関係者は言う。「これまでIBMが独占してきたマーケットに、新たな対抗勢力が形作られることになる。実際にはそう簡単にはいかないかもしれないけれど、少なくとも今回の合併でその基盤は整えられた。この合併が社員や会社にとって吉となるか凶となるのかはわからないけれど、少なくとも大きな戦いを始める準備は整えていきたい。そのモチベーションが今、コンパックの社員たちを動かしている」。また別の社員も言う。「これからIBMと新HPという2大会社に業界が二分され、両社が21世紀のITを牽引していくことになる。その大きな意味をもっとわかってほしい。興味本位に合併のさまざまな問題が語られているが、本当の真価はまだメディアにもきちんと理解されていないのではないか」

コンパックコンピュータ広報部は「日本法人の合併に関しては詳しいことはお話しできないが、今秋を目標に進めている」とコメントしている。

紆余曲折の末、産みの苦しみの末に行われた合併は、社員たちの行方をどう定めるのか。そして新会社の登場で、IT業界はどう変貌を遂げていくのか。過去に例をみない巨大な合併劇は、これからその真価を問われることになる。

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