MacintoshがインテルCPUへ移行すると、開発者にも、それなりの負担をかけることになるが、各社はどう受け止めているのか? ジョブズ氏はMacユーザーにとって、最も重要な2つのソフトウェア開発社、米マイクロソフト社と米アドビシステムズ社の代表を壇上に招いた。
マイクロソフトのロズ・ホー氏 | アドビシステムズのブルース・チゼン氏 |
マイクロソフトでOfficeなどのMac用製品を開発しているのが、Macintosh Business Unitだ。同部門のジェネラルマネージャーを務めるロズ・ホー(Roz Ho)氏は「マイクロソフトは、アップルと最も古くから付き合いがあるアプリケーション開発者であり、今後もこの協力関係は続く」と強調した。
アドビシステムズのCEO、ブルース・チゼン(Bruce Chizen)氏も、満面の笑みで登壇し、「アドビも古くからのMac開発者で、アップルなしではこの世に存在しなかった」と付け加えた。チゼン氏は、インテルCPUの採用は「アドビにとっても待ち望んでいた動きだ」という。同氏は「アップルに対しての疑問は1つだけ。いったい、なんでこんなに時間がかかったんだい?」と陽気に微笑みながら壇上を去った。
そして、最後に壇上に招かれたのは、今回の講演のもう1人の主役とも言える、米インテル社の社長兼CEO、ポール・オッテリーニ(Paul S. Otellini)氏だった。
インテル社長兼CEOのポール・オッテリーニ氏。登壇し、ジョブズ氏と厚く抱擁した |
オッテリーニ氏は、感慨深げな表情を浮かべながら壇上に上ると、ジョブズ氏に抱擁を求め、ジョブズ氏もこれに応じた。
会場に喝采が溢れた。
「アップルとインテルはいろいろな意味で近しい関係にあった」とオッテリーニ氏、アップルの創業以来続く両者の関係を語り出した。インテルの創業は1968年だが、それから8年後、インテル本社からわずか5マイルしか離れていないところで、アップルは創業した。この時からインテルの重役とジョブズ氏らは交流があった。
だが、創業してまもなく両社は別の道を歩み始める。アップルは米MOS Technology社を選び、インテルを採用したのは米IBM社だった。MOS Technologyは、アップルが当時販売していた『Apple I』および『Apple II』というパソコンが採用していた『6502』というCPUを開発した会社である(これは任天堂の『ファミリーコンピュータ』と同じCPUでもある)。
インテルとアップルの歴史 | インテルの創業は1968年 |
アップルはその5マイル先で1976年に創業した | しかしアップルはインテルのCPUを採用せず、両社は別の道を歩み始める |
そして1993年、アップルはPowerPCへ移行し、インテルはPentiumを発表する。
この後、アップルとインテルの関係は悪化する。1996年にはアップルがCMの中で「インテルがCMのイメージキャラクターに使っていたバニーマンに火を放った」とオッテリーニ氏──この件については、ちょっと根に持っているようで、「当時はおそらくPowerPCが熱すぎて、バニーマンが燃えたんだろう」と苦笑していた。
1993年、インテルはPentiumを発表し、アップルはPowerPCをMacintoshに採用した | 1996年に打たれた、少々ブラックな広告 |
そして2005年。「世界で最も革新的なコンピューター会社と世界で最も革新的なチップメーカーがついに手を組む」。そう書かれたスライドが表示された。かなり熱烈な歓迎ぶりだった。
2005年アップルとインテルは手を組んだ |
「アップルはエンジニアリングの面でも、工業デザインの面でも、革新性の面でもずば抜けている」、一方のインテルは「アーキテクチャーやムーアの法則に沿って着実に進歩を続けてきた実績がある」という。オッテリーニ氏は「この両社がついに手を結ぶのは素晴らしいことだ」と、最後までかなりの歓迎ぶりでスピーチを行なった。
ジョブズ氏は「いまMacは市場でも強い力を持っている」「我々は“移行”がどんなものかをよく知っている」と強調したうえで、「次はあなたがたが移行に備える番だ」と参加する3800人以上の開発者をたき付けた。
そして、ジョブズ氏が開発者に投げかけた言葉が「Time for you to get ready too」(今度はあなたが準備する番です)だった |