ASCII24 / インサイドストーリー
「みんなと働けて僕は本当に幸せだった」 欧州最大のネットワークが燃え尽きた日
2002年7月18日
「ヨーロッパのインターネットを守れ!」 人々は立ち上がった
7月3日、ヨーロッパを覆う巨大なデータ通信網イーボーン(Ebone)の火が、静かに落とされた。オランダの通信会社、KPNクエストNV(KPNQwest NV)が倒産してから1ヵ月。技術者たちがベルギーのネットワーク・オペレーション・センター(NOC)にバリケードを築いて立てこもり、「ヨーロッパのインターネットを守らなければならない」と無報酬で存続させてきた。前夜、技術者のひとりは外部の支援者たちに向け、最後のメールを送った。
「昨日、ぼくは英国の投資会社との買収交渉が失敗に終わったというニュースを聞いた。全部うまく行っていたのに、ひとつだけ折り合わなかったんだ――投資会社は2500万ユーロ(29億3000万円)しか用意していなかったのに、銀行はこのヨーロッパ最大のネットワークを売却するのに4500万ユーロ(52億8000万円)を要求したということ。
昨日の夜8時、最後のスタッフがNOCを立ち去り、とうとう誰もいなくなった。一部のスタッフは短い再契約を結んで、けさからネットワークを閉鎖する作業を始めている。
この2週間、僕たちスタッフを支援してくれたすべての人たちにありがとうを言いたい。みんな、ずっと奇跡を信じてきてくれたんだね。
そしてぼくのすばらしい同僚たちへ。
イーボーンで一緒に働けて、本当に楽しかった。こんな結果になったけれど、再就職がうまくいくといいね。みんなと、どこかの会社で会えることを楽しみにしてるよ。
本当にすごい日々だった。でもまもなく、ショーは終わる。僕が今までに働いた中でいちばん素晴らしい会社にいま、最後の幕が下りようとしている」
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ベルギーのNOCで作業を続けるスタッフたち。お互いの意志を再確認し、外部の状況に対処するため、繰り返し集会が開かれた=『イーボーンを救え』ウェブサイトから |
オランダの通信会社KPNと米クウェスト・コミュニケーショ
ンズ・インターナショナル(Qwest Communications International)社が出資したKPNクエスト。1999年、株式の新規公開で10億ユーロ(1173億円)を調達し、注目を集めた。翌年2月には株式時価総額は420億ユーロ(4兆9000億円)にまで達したが、昨年12月決算では2億6600万ユーロ(約312億円)の最終赤字に転落。光ファイバー網への過大投資や、ITバブル崩壊による顧客のネット関連企業の相次ぐ倒産などが原因だった。今年5月には経営危機が表面化し、40%を出資していた親会社のKPNは追加融資には応じないと表明。同月下旬には銀行が取引を停止し、31日に破産宣告を受けた。破産の直前、KPNクエストは顧客に対して緊急連絡を送った。「弊社のデータ通信網は今後、急激なパフォーマンスの低下を招く可能性がある。この非常事態に備え、他のプロバイダーとの間で代替手段を採ってほしい」
この日から、イーボーンは綱渡りのような運営を強いられていくことになる。
何の準備もないままにイーボーンがシャットダウンされれば、その影響は計り知れない。この長大なネットワークは18の国にまたがり、その総延長は2万5000kmに達する。さらに、このネットワークには60以上の国のccTLD(国別トップレベルドメイン)のセカンダリーDNSサーバーも接続されている。代替手段が用意されないまま閉鎖されれば、ヨーロッパのインターネットの根幹が揺るぎかねない。日本のあるドメイン関係者は話す。「セカンダリーDNSサーバーが停止すれば、マスターに対する代替手段がなくなって危険な状態になるうえ、負荷分散も不可能になる。過剰な負荷がマスターDNSサーバーにかかり、インターネットにおけるそのゾーンの名前解決の反応が著しく悪くなる可能性がある」。ヨーロッパの各メディアも、イーボーン停止の危機を「インターネットのメルトダウン」「ブラックホールへの崩落」とさまざまな言葉で報じた。
しかし技術者たちの危惧をあざ笑うかのように、最初の危機は間もなくやってきた。6月6日、運営資金の枯渇を理由に、破産管財人がネットワークの閉鎖を決定したのだ。「顧客が未払い分の支払いを10日までに済ませない場合、われわれはヨーロッパ全土に広がるイーボーンをシャットダウンしなければならない」
ベルギーにあるKPNクエストのNOC。イーボーンを集中管理しているこの施設で、事態を見守っていた社員たちは騒然となった。「誰がヨーロッパのインターネットを守るんだ」「このまま閉鎖を待ってよいのか」。100人の社員たちはみずからの意志でNOCビル内に立てこもり、バリケードを築いた。電力の供給ストップに備えてスタンバイした緊急用発電機の燃料は、社員たちがポケットマネーで調達した。労働組合も彼らの行動を支援した。ウェブカメラが設置され、彼らの作業する様子はインターネットで24時間中継された。「僕らはまだ生きてるよ!」「顧客のみなさん 僕らはあなたを愛してる!」。社員たちはさまざまな思いを白いボードに書き込み、ウェブカメラの前に掲げた。
「もう疲労の極限に達した。ネットワークは閉鎖するしかない」
しかし最初の危機は、破産管財人の決断で回避される。ネットワークを閉鎖すれば、同社の資産価値が著しく下がってしまうことに気づいたのだ。イーボーンは延命された。しかし、残された時間は、多く見積もっても半月あまりしかない。選択肢はふたつ。稼働しているイーボーンをそのまま第三者に売却し、存続させるか。あるいは売却先が見つからなければ、イーボーンを閉鎖するか。この場合、すべての顧客が他の接続先を見つけるまでの間、何とかして時間を稼がなければならない。
6月14日。NOCで必死の作業を続けていた社員たちは外部に向け、警告のメールを発した。「会社の買い手が見つからなければ、われわれはネットワークをシャットダウンせざるを得ない」。英国メディアのVNUNETによると、社員チームの広報担当を務めるグレアム・キンゼー(Graham Kinsey)氏は「われわれの“座り込み”ももうそろそろ終わりだ。この8日間、毎日20時間シフトでぶっとおしで働いてきて、肉体的にも極限の疲労に達している。資金や資材も足りない」と話したという。
この間、会社側からは内部分裂を誘おうとするような提案もあった。100人の立てこもりメンバーのうち、キンゼー氏を含む40人に対して契約の更新の申し出があったのだ。だがメンバーは「全員が残るか、全員が去ってネットワークも閉鎖されるか。どちらかしかない」と提案を蹴った。そしてメンバーたちは外部に向け、苦痛に満ちた電子メールを送り出した。「この10年、われわれはみずからの誇りをかけてこのネットワークを構築してきた。しかしいま、この状況の下ではシャットダウンさせる以外に方法は残っていない。しかし過去に前例のない事態は、予測もできないような結果を誘発するかもしれない」
売却先の交渉は続けられる。AT&Tなどさまざまな名前が浮上しては消えていったが、実ることはなかった。同時に、基幹のデータ通信網とは関係のない部分の資産の売却が進められ、イーボーンの延命資金に充てられた。無報酬のボランティアでイーボーンを守っていた社員たちにも、ようやく給料が支払われた。
しかし月が変わるのと同時に、最後の日がやってくる。最後の希望の綱だった英国の投資会社オークレー・インベスターズ(Oakley Investors)との売却交渉が決裂したのだ。冒頭に掲げた最後のメールが、NOCの内部から発信された。この夜、イーボーンのボランティアを支えていた支援者の一人は、こんなコメントを残した。「この数週間、ウェブカメラでは、日夜を違わず多くの人たちが仕事を続ける様子を見ることができた。しかし今日、ウェブカメラには誰も写っていない」
そして広報担当のキンゼー氏も、『イーボーンを救え』と題したボランティアスタッフたちのウェブサイト上でこんなメッセージを掲げた。「今日、希望を持てるような提案はもう何もない。ぼくたちはイーボーンをシャットダウンしなければならなくなった。でも、ぼくたちとともに戦ってくれた多くの人たちには誇りを持ってほしい。ぼくたちの戦いは、イーボーンの思い出とともにある。あなたたちと働くことができて、本当に幸せだった」。そしてメッセージの最後を、こう結んだ。「ぼくたちは、ヒーローだ」
そして7月3日午後5時、イーボーンの大部分はひっそりと閉鎖された。社員たちが1ヵ月近くにわたって必死で運営を続けてきた巨大ネットワーク。その努力の成果もあって、顧客たちは代替プロバイダーへの転換を、すでにほぼ終えていた。閉鎖による大きな影響は起きなかった。そしてイーボーンの売却先が決まったのは、その約10日後。イギリスに拠点を置く通信会社インタールート(Interoute)がそのネットワークの主要な部分を買収することで決着したのだった。
(編集部 佐々木俊尚)
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