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【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、著作権保護期間の延長を考えてみよう(後編)
2006年11月22日
「人類の共有財産として何を残せるか」
去る8日、ジャーナリスト、クリエイター、大学教授、弁護士など64名を発起人として“著作権保護期間延長問題を考える国民会議”が発足された。現状50年の著作権保護期間を70年に延長しようとする動きに対して、法改正の前により深い論議をしようと呼びかけていく。
後編では、前編と中編に続く識者・クリエイターの発言に加え、質疑応答、および記者発表会に欠席した発起人のコメントも掲載していく。
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“著作権保護期間延長問題を考える国民会議”発足の記者発表会 |
高橋健太郎氏
(音楽評論家、プロデューサー、エンジニア)
私は音楽評論や音楽制作をやっています。一昨年に著作権法の改正が行なわれた際、レコード輸入権に対して非常に反対の声が高まりました。私も反対意見を述べるため、国会に参考人として招致されて行ったりしましたが、そのときには実は輸入権に対する情報が乏しくて、国会議員の方々も内容をよく知らないまま、ほぼ全会一致で参議院を可決したあとだったんですよね。
今回の問題はそのときに比べると、今日、ものすごく幅広い分野の方々が集まって、こういう会議を発足させるということになって嬉しいことだと思います。その意味で世話役のお二人にはとても感謝したいと思います。
私のいる音楽業界は、再利用というか、引用や再構築といった単純に一人の作曲家の作品を沢山の演奏家が演奏することが可能な世界なので、許諾の問題はというのは常に大きいんです。現状でも許諾の問題で苦しむ部分もありますので、必ずしも50年70年という問題だけに集約されるわけではありません。
けれども作品をいかに再利用し、文化というものを活性化していくかということを考える上で、50年70年という問題が、このタイミングで多くの人の関心を得るということはとてもいいことだと思います。
この問題は文化の活性化であるとか、経済であるとかいろいろ考えられると思います。個人的にはやっぱり自分が何を残せるか、人類の共有財産として何を残せるかというところでは、今がすごく考えなきゃいけない環境問題などとも通じ合うところがあると思います。
別の側面も考えられるでしょう。音楽の商業作品とされる著作物は、クラシックを除くと、私が専門のポピュラー音楽はここ70年くらいの歴史しか実際ないんですね。ですのですべてが著作権存続期間に入っちゃうような状況です。そういうリソースを持っている国と持たざる国における“南北問題”というか、経済問題にも係ってくると思います。
いろいろな問題が考えられると思いますので、考える会議ができたということは非常に僕は嬉しく感じます。
金井重彦氏
(弁護士)
この問題、日本の文化にとって非常に重要な問題なので、慎重の上にも慎重に国民的な議論を尽くして決すべきであるというのが私の考えです。
まず第一に著作権というのは、作家や創作者に対して創作活動を保護していくという側面があるわけですが、これは生きている間に生活を支えてもらおうというのが一番需要なことです。その間きちっと権利が守られるのが、非常に大事だと思うんです。
作家が自分の孫やひ孫の貯金通帳に印税が振り込まれてくるという姿を想像しながら本当に小説書くだろうか、文芸作品を書くだろうか、そう思う部分がありますね。
これは個人のクリエイターの場合で、法人の場合だったらまた違ってくるでしょう。法人の場合でも、社歴が50年以上の会社がそう多いわけではありません。果たして企業側が「50年後にうちの会社の資産になるんだから」ということで投資するでしょうか。作品に対する投資の設計の中で、そんな回収期間を設定するだろうかと考えてみると、これもちょっとありえないという気がして、50年を70年に延ばすのはどういうものかと感じます。
映画の方は決まってしまったことですが、これから他の分野のコンテンツ産業を振興するには、今、創作している創作者にきちっとした経済的な見返りがあるということを考えなければならないと思うんです。
孫、ひ孫、玄孫のために財産を残したいから、それが刺激となって一生懸命執筆するかといったら、ちょっと話が遠いし、違うんじゃないかという気がします。
もう1つ、私も経験したことがありますが、死後50年といっても、本当に亡くなったのがいつなのか確定できない場合があります。例えば、海外で客死しているのではないかと言われている人では、相続人を探すのがものすごく大変です。
作家が生まれてから170年くらい経っているケースでは、120歳まで生きたとしても、もう死後50年経っているだろうと予想します。ですが、念のために相続人を調べなければならないとなると、3代、4代の相続関係を調査する必要があるでしょう。子孫の中には海外に行っている方もいたりして、実際に古いコンテンツの利用というのは、今でさえなかなか難しいわけです。
「50年でさえ難しいのが70年に延びたら、どれだけの労力をかけなければならないか」ということを考えると、結局それだけ面倒なら止めたと考えるようになってしまいます。結果、古いコンテンツ、古い著作物が死蔵されてしまって、文化の振興にとってプラスにならない。
著作権法というのは、何よりも文化の振興が目的で、そのためにはクリエイターを保護して相当に報いていかなければならないという前提になってるんです。
孫やひ孫の代まで報いなければならないのか、著作物を再び世に出すときにそこまで権利関係調べなければならないのかという話になると、逆に死蔵されるコンテンツが膨大な量になっていくだけでしょう。
そうすると文化の振興と言いながら、われわれの持っている文化のストックが実は小さくなっていく可能性も考えられるわけです。この辺のところを慎重に検討してみるべき必要があると思います。
そういう意味でこの重大な問題をサクサクっと進められてしまったのでは非常に困るし、日本の文化の振興のためにもコンテンツの振興のためにもプラスにならない。広くさまざまな角度から国民的議論を尽くして、立法作業を進めてもらいたいという考えです。
城所岩生氏
(成蹊大学法学部教授、米国弁護士)
私は今の時点では、ニュートラルということで、態度を保留させてください。実は2年前に法科大学院ができてから教職を得ましたが、それまでは米国で弁護士をやっていました。
米国における前回の20年の延長、1998年の著作権法改正によるさらなる延長、その改正を巡って最高裁まで行ったけど結局勝てなかったという裁判──これらの過程をずっと見ています。
1998年の改正は“ミッキーマウス保護法”と言われるように、ディズニー社が保有するミッキーマウスの著作権が2003年に切れるのを20年延長するために、ディズニーのロビー活動で通った法律でありました。
しかしながら、先ほど紹介ありましたように議論もされていまして、その論及の1つに欧州が既に70年となっていて、米国の著作権者が不利にならないようにという話も挙っていました。
この過程を見ていると、欧米が死後70年に延長しているので、日本も50年のままでは不利だからそうならないようにする、という観点からは延長に賛成ではあります。
ただ、度々出ていますように、情報の自由な流通という観点から見ると、日本は米国に比べてずっと遅れています。私自身の経験で言うと、米国では研究活動のためにオンラインでかなりの情報を取れたのですが、日本ではまだオンラインは充実していなくて、図書館に行かなければならず、生産性が悪いと感じることがあります。
そういう観点から言えば、もっと情報の流通を促進しなければいけない。ということで現時点では、一応、態度は保留させてください。いずれにせよ議論することは非常にいいことですし、その過程で米国での経験をシェアさせていただければと思って参加しました。
質疑応答
[記者団]
今後の活動は、シンポジウム以外に、固定メンバーで会合を持つ審議会のようなことを行なう予定はありますか? また、最終的にいつまでにこういう結論を出すのか、それとも多方面からいろいろな議論をしていくのか、方針を教えてください。
[福井氏]
当座はとにかく広く議論が集まり、交換されて発信する場になっていきたいと考えております。
そのためには12月11日のシンポジウムを、できるだけ多くの方の関心を持っていただいて行なうこと。それに向けてウェブページを介して、いろいろな情報や意見を集めていきたい。
それから先はもちろん継続的な活動を考えていきたいですが、そのシンポジウムが終わった段階で恐らく参加している人たちの考えもいろいろ変容すると思うんですよね。
その段階で今後どのように議論を高めていくのか、皆で話し合っていきたいと考えています。いずれにしてもこの保護期間の延長問題の帰趨が決定するまでは、明るくオープンに、徹底的にこの問題にこだわり続けたいと思っています。
[記者団]
著作権保護期間の延長は、来年の文化審議会で早ければ審議される可能性があって、最速では再来年の改正があり得るわけです。期間としては少なくてもこれ位議論してほしい、文化庁としてはこれ位の時間をかけて決めるべきだという意見はありますか?
[福井氏]
今日の話を聞いて、皆さん一番感じられたことだと思いますが、論点すら出尽くしていたいんですよね。何の実証的なデータが必要なのか、どういったファクターを考慮すべきかもまだ出尽くしていない。
ですから、どのくらいの時間がかかるかと言うのは少々難しい気がします。必要な論点を出し尽くし、必要なデータを集めていく作業がまず先行すべきなではないでしょうか。
[記者団]
来年1年では、とてもその論点は出尽くさないだろうという考えと理解してよろしいですか?
[福井氏]
個人的にはそう思います。
[記者団]
作り手の方々は、自身の作品が上演されるときに勝手に改変されることをどうお考えでしょうか?
[別役氏]
僕自身は、今、死後50年が70年になったとしても、先ほど皆さんが言っていたように、儲けたという感じは持てないんですよ。実際にはね。
先ほども言いましたように、著作権が切れるということは、そこから公共の財産になるんだという考え方だと思うんです。勘で言いますが、僕は作品を興行した、現実には作品を公開したときにすでに公共の財産になっちゃったという印象があります。
ただそれでは著作権料を貰えなかったり、生活の問題もありますから、ある程度時間が必要かもしれません。しかし、例えば、作品公表後50年という期間にすれば、「50年たったらお前の作品じゃないよ、これは公共の財産になるよ」と言われると、僕はそうかなという感じになるんですよね。これは非常に自然なことという感じがします。
僕の作品もほかで上演することがあります。特に高校生なんかが多いです。そのときに僕はむしろ「方言でやってみたらどうか」といったように書き換えを推奨します。
高校生の演劇は上演時間に1時間といったような限りがあって、どうしても台本を削ったりしなければならないこともありますが、それは自由に任せています。ただしどこを削ったのか、どう変更したのかということについて、観客に知らせるような手立てをしてほしいと言うことだけは伝えています。
[中村氏]
別役先生がおっしゃる通り、僕も作品は公表された時点でパブリックになるということを以前から言っています。もちろん著作権とは別の問題で存在すると思いますが、個人的にはそういう風に考えています。
自分の作品が利用されることについては、今だって僕は他人のものを利用して作品を作っていて、ほとんど他人のものを僕は使っていると考えています。
[記者団]
著作権延長の論点の1つに、(※1)戦時加算10年ぶんの問題があります。70年延長論者の人たちは、延長すればこの戦時加算ぶんを廃止してもらえるんじゃないかと、請求権を放棄してもらえるよう交渉する手があるのではと言ってます。これについてはどうお考えでしょうか?
※1 第2次世界大戦の期間中、著作権を有効に管理できなかったという理由で、日本は米国や英国など連合国の著作物について通常の保護期間に開戦から終戦までの約10年間を足して保護しなければならないという取り決め。
[福井氏]
私は一応、国際交渉が専門ですが、まず相手の欲しいものを全部上げてしまってから、その後こちらの要望を聞いてくださいというのは、これほど下手な交渉はないでしょう。
交渉するときには、こちらが何をあげたら相手は何をくれるのか明確な約束が必要です。これが当然、第一歩になります。
よってこの問題では、「こちらが20年延長したら、あなたたちは本当に10年放棄するんですね?」ということを条件付けて、対象国のすべての権利者と交渉するということが恐らく必要になると思います。
とはいえ交渉に当たって、各国の権利者団体がどれくらい組織化されているのか、まったくデータが与えられていないんです。その権利者団体のうち、仮にいくつかを説得できたとしても、それが果たして作品全体にとってどれくらいの割合になるのかというのも分かりません。
もしこの問題を考慮するのであれば、まず各国権利者団体から内諾を取り付けてくるのが、第一歩だろうという気がします。ちなみに仮に内諾が取れたとしても、10年もらう代わりに20年あげようという交渉は、私だったらしません。
[記者団]
一般の人がこの国民会議に賛同したいという場合は、メンバーの加入は可能でしょうか?
[福井氏]
賛同署名などを集めるアイデアが出ておりますが、今はまだ制度として決めていません。もちろん幅広く呼びかけていくことは間違いないのです。議論に参加していただくこと、すなわち国民会議のメンバーであるというよりは国民である以上、国民会議のメンバーであると考えていただければと思います。
出席できなかった発起人のコメント
国民会議の発起人64人のうち、当日出席できなかった賛同者のコメントも配布された。以下に紹介する。
境真良氏
(早稲田大学大学院 GITS 客員助教授)
著作権は、創造を保護するために必要な薬ですが、他者の利用をいたずらに禁じたり、利用に過大な対価を強いれば、社会的価値増進にはかえって毒にもなります。また、習作としての利用もできないのでは、次世代の創造者も育ちません。
著作権の延長を論ずる前に、まず権利者の側が行使の仕方を明らかにし、その妥当性を論ずるべきです。ただ、著作権の強化が創造の保護だという一面的な理由で、著作権の保護期間を延長することには反対です。
塩澤一洋氏
(成蹊大学法学部助教授、東京大学先端科学研究センター 特任助教授)
果実はやがて土に返る。
木々から直接地に落ちたものも、動物によって咀嚼されたものも。
やがて滋養となって次の実りの中に生き続けるために。
増田聡氏
(大阪市立大学 大学院文学研究科専任講師)
日本の著作権制度は、常に外圧によって変遷してきた歴史を持っています。その始まりからして、幕末に結ばれた欧米諸国との不平等条約を改正するため“取引材料”として導入されたものでした。そのために、日本社会における“著作権”は、どこかしらよそ行きで、おさまりが悪く、タテマエとホンネの間で翻弄されてきたように思います。
今、再び、日本の著作権精度が“国際的な声”に押されて大きく変化しようとしています。しかし、外圧のままに変化するような制度であれば、日本の著作権制度はこれからもずっと“おさまりの悪い”制度であり続けるでしょう。
そして、そのような制度は私たち自身にとって縁遠いまま、守るべきルールとして定着するようなことはないでしょう。文化と経済の間のよりよい関係を定める著作権制度をどのように設計するかについて、私たち自身の現代の生活の中から考え直していくべきだと思います。
横山久芳氏
(学習院大学 法学部助教授)
著作権法は、著作者の権利を保護するとともに、一定期間経過後は著作物をパブリックドメインとして自由に利用できるようにすることで、保護と利用のバランスを図っている。
著作権を保護するということは大事だが、その保護が過度に、長期間に及ぶと、著作物の流通や利用の妨げとなり、文化の発展という著作権法の本来の目的に反する結果となる。保護期間の延長問題については、実証的なデータとともに、延長による利害得失を具体的に検討していくことが必要であると考える。
(おわり)
(編集部 広田稔)
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